高松市で高松高校・附属中受験専門の学習塾なら
佐藤進学塾

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小学生の教科別学習方法

社会について

保護者の方へ  最初にお願いしたいこと

1.姿勢を正して勉強することを心がけて下さい

2.正しく鉛筆を持つことを習慣付けて下さい

3.鉛筆と消しゴム、定規・コンパスは高品質なものを用意して下さい

4.出来たところを徹底的にほめてあげて下さい

5.ゆっくり丁寧に行うことを常に伝えてあげてください

※佐藤進学塾では、上記五点に気を付けて、お子様が頑張るように指導しています。

小学3・4年生

小学校低学年から中学年にかけては、日々の生活そのものが社会に関係しているといえます。毎朝、配達して頂いている活字媒体である新聞、スイッチを入れると画面が現れ、キャスターが丁寧に説明するテレビのニュース、カーラジオから流れてくる音楽を織り交ぜた聴覚に訴えかける様々なニュース、そして、パソコン・スマホなどから得られるリアルタイムに送られてくるニュース等々、昔と違って社会に関することが様々な形で玉石混交で常時、伝えられています。

昨今、情報が多すぎるので保護者様が情報を取捨選択する必要があります。まず、新聞を中心に家族皆が情報を得ることができる状態にします。たとえば、親は日経新聞と四国新聞、姉は中学生新聞、弟は小学生新聞という具合に家族みんなが活字に慣れ親しみ、それをもとに会話を行うようにします。黙って家族全員がスマホを操作しているのは最悪です。今すぐ、やめてください。

次に、正確に情報を伝えるニュース番組を選択して、家族みんなで見るようにします。凄惨な場面を報じる内容に切り替わった場合は、すぐにチャンネルを変えましょう。その時は、ドラえもんにでも変えたらよいのです。小学生の間は、お子様にきつい内容の映像を見せてはいけません。しれっとチャンネルボタンを親が押して変えるとよいのです。「えっ、面倒くさい」。私は「ふざけるな」と言います。なぜなら、我々が子供の時はリモコンはなく、大きな円型のチャンネルをがりがりと回していたのですから。

さて、パソコン・スマホのニュースは親が必要な情報のみ取り出して教えてあげることが大切です。今の子は学校の先生が「自主勉強をしてきなさい」というと張り切って、パソコンを調べまくる子がいますが、何の意味もありませんし、勉強の役には全くたっていません。

社会の勉強とは教科書を調べて、参考書を調べて、辞書を調べて、資料集を調べて、地図帳を調べて、それでもわからない時は親と一緒にパソコンで調べる事が大切です。パソコンで勉強するのは『百害あって一利なし』です。「えっ、それは古い考えだ」と。「古いもくそもないのです」「駄目なものはだめ」。社会の勉強が出来る子に育てるには、一に新聞、二に新聞、三、四がなくて五に教科書です。

小学校低学年から小学校中学年にかけて、新聞、良質なテレビニュース、教科書、参考書、そして、親子のニュースを通じた楽しい会話を行う家庭のお子様は、私が自信を持って指導して、社会が抜群に出来るお子様に育て上げていきます。

小学5年生

「日本の国土」

まず地球儀をリビングに置きましょう。製作キットを購入して作ってもいいですね。ニュースを見て、報道された国を地球儀で確認しましょう。次に、地図をはりましょう。日本地図と世界地図と二枚必要です。世界地図は地球儀と兼ねても構いません。

経線は、北極と南極を結ぶ縦の線です。イギリスの旧グリニッジ天文台を通る線を0度として、東西180度まで等間隔に分け、東側を東経、西側を西経といいます。同じ緯度を結ぶ横の線を緯線といいます。赤道を0度として北極と南極を90度ずつに分け、北側を北緯、南側を南緯といいます。

六大陸として、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸があります。三大洋として、太平洋、大西洋、インド洋があります。

日本の国土は周りを海に囲まれ、南北に約3000キロメートルに及ぶ弓形に連なる細長い形をした島国です。ユーラシア大陸の東側にあり、本州、北海道、九州、四国の四つの大きな島と約7000の島々からできています。日本の周りは太平洋、日本海、オホーツク海、東シナ海があります。日本の端の島は、北端が択捉島、南端が沖ノ鳥島、東端が南鳥島、西端が与那国島です。北方領土の歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島はロシア連邦が占拠しています。

日本の地形として、国土の約四分の三は山地であることを理解して下さい。また、日本の川は外国の川と比べて距離が短く流れが急である特色を理解します。主な山地・山脈、主な平野と川は教科書を見て覚える必要があります。

気候については6区分されていて、北海道、太平洋側、日本海側、中央高地、瀬戸内海、南西諸島に分けられます。それぞれの特徴を理解した上、気温と降水量のグラフの特色を理解しておきます。

佐藤進学塾では、楽しい覚え方を教えています。たとえば、山地・山脈については「北の天から夕日が登る」。「北見、天塩、夕張、日高」。など、北から順番に歌いながら教えていきます。

「日本の農業」

米の主な生産地は北海道、東北地方、北陸地方です。米は熱帯性の植物ですが、品種改良によって北日本での生産が盛んになりました。庄内平野のはえぬき、秋田平野のあきたこまち、仙台平野のひとめぼれ、越後平野のコシヒカリ、石狩平野のきらら397の品種が生産されています。コメ作りに必要なものは、良い土、日あたり、水の管理の三点です。米作りの流れは、種もみ選び、苗づくり、田おこし、代かき、田植え、中干し、農薬散布、稲刈り・脱穀、乾燥・保存です。

最近の課題はおいしくて安全な米をつくることです。化学肥料や農薬に頼らず、堆肥を肥料として使った有機栽培が主流になりつつあります。また、土地改良として圃場整備が行われ、機械化による効率化が進んでいます。しかし、農業で働く人は減少すると同時に、高齢化がすすんでいます。これからの米作りは、共同化、農業協同組合の営農指導、産地直送などの課題を解決していくことで明るい未来が見えてきます。大切な食料を生産する意義はもちろん、緑を守り、大切な涵養の役割があることを深く理解すべきです。

かつて政策金融に携わっていた時、土地区画整備事業について詳しく勉強したことがあります。滋賀県や和歌山県の土地区画整備事業を順番に見て回り、担当者と話を行いました。教科書を超えた実情について生徒たちがわかる範囲で具体的に話をしています。

「日本の水産業」

日本近海には日本海流、対馬海流、千島海流、リマン海流が流れています。暖流と寒流がぶつかる潮目にはプランクトンが多く良い漁場となっています。東シナ海には大陸棚が広がっていて、底引き網漁が盛んです。取る漁業の漁法は底引き網漁、巻き網漁、一本釣り漁、定置網漁の四つがあります。漁業の種類は沿岸漁業、沖合漁業、遠洋漁業があります。遠洋漁業の漁獲量は200海里水域を設定したことと密接に関係あることを理解します。

つくり育てる漁業は、かつて養殖業が盛んでしたが、赤潮の発生などにより、餌の量・内容、育成方法などが見直されて現在に至っています。栽培漁業は今の主流となっています。卵からふ化させた稚魚や稚貝を海や川に放流して成長したものを取る漁業です。日本各地にある栽培漁業センターで研究が盛んに行われています。

これからの水産業は養殖業や栽培漁業などつくり育てる漁業を盛んにして、水産資源を減らさないよう計画的に漁獲することが大切になってきています。森林には腐葉土により栄養分を海へ流し込む事で魚のえさになるプランクトンを育てるはたらきがあります。植林を行い森林を育てることが、海を豊かにすることにつながります。

高松市松縄町は海の近くにあります。生徒たちも車で5分も走ればきれいな海にたどり着くところに住んでいます。佐藤進学塾の生徒さんは海釣りや海水浴に訪れることも良くあり海を身近に感じています。

かつて、庵治で起きた事を生徒に話すと皆、びっくりします。17年前、庵治の防波堤で餌木のジギングでイカ釣りをしていた時の出来事です。庵治は、映画「世界の中心で愛をさけぶ」せかちゅーの舞台となった大変風光明媚なところです。都会の人はきっと「こんなきれいな海があったのか」と心より驚かれるような、素晴らしくきれいな海です。

先生「人魚が50頭くらい、沖で泳いでいたのを見たんです」。

生徒「うそー」。

先生「それが本当なんです。体をキラキラさせながら人魚がたくさん泳いでいたんです」。

生徒「ジュゴンと違うん」。

あとで、わかったことなんですが、瀬戸内海へイワシの群れを追って、スナメリの大群が入り込むことがたまにあるそうです。スナメリは遠くから見ると本当に人魚に良く似て見えるそうです。

「日本の食糧生産」

日本人の食生活は多様化し、外国からの食料輸入が増えていて、輸入食材の安全性が問題になっています。広い敷地で効率よく生産している外国の農産物の値段は安いのが特徴です。また、輸入自由化もあって、国内の生産者は厳しい競争にさらされるようになりました。日本の食料自給率は年々低下しています。食料輸入の問題点として、不作の時や相手国との関係性により輸入できなくなる恐れがあることがあげられます。また、農薬や薬品についての安全性が心配です。

これからの食料生産で大切なことは、一つ目としてに安全性を保つことです。産地表示の義務付け、トレーサビリティの導入が行われています。二つ目に環境にやさしい食料生産です。高品質な食料を生産するために、水・土が良い環境であることが必要なことから、環境保全の取り組みが行われています。あと、農産物、魚介類、畜産物を含めた地産地消の取り組みが行われています。

佐藤進学塾では、讃岐三畜、オリーブ牛、らりるれレタスなどについて生徒と話をします。オリーブ牛はオリーブの搾りかすをえさに混ぜ込んだものを与えられています。肉質が良くなるようで、都会に多く出回り、香川でも手に入りにくくなりつつあります。生徒の中には、牛がばりばりとオリーブの実や葉を食べていると勘違いしている子が時々います。

「日本の工業」

自動車工業は日本の工業の代表です。自動車は約30000個の部品を組み立てて一台の自動車をつくります。大きく分けて六つの作業工程に分かれています。①プレス、②溶接、③塗装、④組立、⑤検査、⑥出荷の工程です。とくに部品は関連工場でつくられていて、一つの会社の部品だけでなく、ほかの会社の部品も生産しています。ジャストインタイム方式と呼ばれる、自動車を生産するはやさに合わせて必要な部品が決められた時刻に届く仕組みを取り入れています。環境にやさしい自動車としてハイブリッドカーの生産は増大し、電気自動車も普及しつつあります。また、自動車のリサイクル率も向上しています。

工業の種類は重化学工業と軽工業に分けることができます。特に、重化学工業は、機械工業、金属工業、化学工業の三つに分けることができます。日本の工場は、働く人が300人に満たない中小工場がほとんどを占めています。大工場はロボットや大型機械を使って製品を大量生産しています。中小工場では手作業を中心に細かな部品をつくる工場が多く、一人あたりの生産額が低いことが問題点です。しかし、高い技術を持ち、機械では作ることができない世界に誇ることのできる製品を生産している中小工場も多くあります。

工業地域は太平洋ベルトを中心に海沿いに広がっています。海沿いに発達した理由は、多くの燃料や原料を輸入して、自動車や機械などの工業製品を輸出するため、輸出入に便利だからです。また、太平洋ベルトの地域では豊富な労働力が得やすくなっています。工業地帯は、京浜、中京、阪神の三大工業地帯を覚えます。工業地域は北九州、関東内陸、京葉、東海、北陸、瀬戸内、北海道、鹿島臨海、大分臨海の九つを覚えます。

ハイブリッドカーは一気に普及しました。佐藤進学塾の生徒さんの送迎車の4割はハイブリッドカーに代わっています。電気自動車の子も少しですがいます。一時は、欧州で問題になりましたが、高性能ディーゼル車の子もいます。さすがに燃料電池自動車の子はいませんが、矢張り、自転車で来る子は最高のエコですね。

私たちが子供の頃は「俺大人になったらポルシェ買う」とか「絶対カウンタックやろ」とか、ちびのくせに車談議で盛り上がったものですが、最近の子は車自体に関心を示さなくなったことは少し残念です。

「運輸と貿易」

人や物を運ぶこと、集配、積み下ろしも含めて運輸といいます。輸送方法は大きく分けて自動車、鉄道、船、飛行機があります。国内の輸送に占める輸送方法の割合は、貨物輸送は自動車が、旅客輸送も自動車が首位を占めています。理由としては、高速道路網の整備が上げられます。しかし、排出ガスや騒音の問題、交通渋滞や交通事故の問題もあります。

二酸化炭素排出量が少なく、環境にやさしい特色を生かして鉄道輸送に切り替えるモーダルシフトが注目されています。また、工業製品の輸出や燃料・原料の輸入には、船の輸送は欠かせないものとなっています。更に、はやさを生かして肉類や水産物、花、集積回路の輸送には飛行機が便利です。特に、集積回路など電子部品は小さく軽く高価であるため、飛行機で輸送しても利益を確保することができます。

かつては輸入した原料を加工し、製品を輸出する加工貿易が中心でしたが、アジアの国々で工業化が進み加工貿易の形態は薄れてきています。日本の輸出は自動車、電気製品、コンピューターなどの高い技術に支えられた工業製品が中心です。日本の輸入は石油、衣類、食料品はもちろん、電気製品、自動車もふえてきています。

貿易相手国は、長い間アメリカ合衆国が最大の相手国でしたが、最近では中国が大きく伸びてきています。輸出相手国はアメリカ、中国、輸入相手国はアメリカ、中国、オーストラリア、サウジアラビアが主要な国となっています。貿易摩擦を緩和するために日本の会社は相手国に工場をつくって生産するようになっています。しかし、日本では産業の空洞化が問題となっています。

私たちが小学校の時、塾では、四大工業地帯について詳しく教えられ、加工貿易の重要性について理解後に暗記するよう伝えられました。今では工業地帯の四大が三大になり、工業地帯は数多くなり、輸出入の形態も大きく変わりました。教科書や塾テキストの資料や内容が、出来た当初は使うことができても、ほんの一、二年経つと内容や資料が大きく変わることが最近よくあります。佐藤進学塾では、常に最新のニュースを確認して正確な情報を生徒さんには伝えることができるように私たちも努力しています。

「情報」

私たちは、暮らしに必要な様々な情報を、多くのメディアから得ています。現在の生活はその情報によって支えられているといえます。情報の伝達手段は、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネットなど様々な方法があります。最近では、多くのトラブルが起こっているので、情報の利用には発信元や内容の真偽を見分けて冷静に判断する必要があります。

テレビ放送のニュースができるまでには、6段階の過程を経ています。まず番組作りに必要な情報を集めます。次に、題材や放送内容を決めます。そして、記者やカメラマンが取材に向かいます。取材したことを基に番組で読まれる原稿を作成します。原稿に合わせて映像を編集し、音声や文字をいれます。最後にキャスターやカメラマンが役割を分担して、早く、正確に視聴者がわかりやすいようにニュースを伝えます。

多くの情報機器を接続して、情報の送受信ができる仕組みを情報ネットワークといいます。インターネットもその一つで、この二十年間で各家庭に一気に普及し、24時間必要な時に必要な情報を送受信できます。医療の現場では、カルテの電子化が進み、遠隔医療の取り組みも行われるようになっています。図書館では、図書の検索、貸し出しに利用されています。福祉においては、高齢者の生活を見守るため、テレビ電話の設置やセンサーの設置が進んでいます。防災では、災害発生時、瞬時に行動できるよう防災メールの発信などの取り組みが行われています。

情報化が進むにつれて、生活が便利になる一方、広告への苦情、インターネットを通じた様々な被害が増加しています。多くの情報から必要な情報を選択するメディアリテラシーを身に付けることが必要です。特に、個人情報は一度流出すると取り戻すことができないので、十分注意する必要があります。

インターネットは、私たちが子供の時には考えられなかった夢のような道具です。昔の電話は黒い電話。ダイヤルをジーコジーコと回して友人と連絡を取っていました。時代は進んで、fax、留守電、携帯、eメール、インターネットにスマホ、…、新しい製品が出るたびに驚きの連続です。

昔、といってもわずか20数年前、非常勤の先生と連絡を取るのは本当に大変でした。「リーン、リーン、…」と30回くらいコールして、やっと共同の電話に相手が出る。それから本人に取り次いでもらう。一回連絡を取るのに5分、10分待つことは、普通のことでした。「あー、懐かしい」。

「自然環境を守る」

森林には多くのはたらきがあります。まず、暮らしの中において、必需品である木材を生み出します。古来より日本家屋は木造が主体です。次に、地下水として水を蓄えています。洪水や干害を防ぐ緑のダムのはたらきもあります。また、根でしっかりと土を支えているので、土砂崩れや洪水を防いでいます。豊かな緑は光合成をおこない二酸化炭素を吸収して、酸素を放出しています。そして、野生生物のすみかとなり、森林の栄養分が海に流れ込むことで魚介類を育てています。

高度経済成長のころ、工業化が進み同時に各地で公害が起こりました。とくに被害が大きかったものは四大公害病とよばれています。有機水銀が原因の水俣病、カドミウムが原因のイタイイタイ病、亜硫酸ガスが原因の四日市ぜんそく、有機水銀が原因の新潟水俣病の四つです。国は1967年に公害対策基本法を、1993年に環境基本法をつくり対策を行っています。県・市など地方公共団体においても、条例で様々な基準を設けています。地球規模での環境問題としては、酸性雨と地球温暖化の問題があげられます。1997年には京都議定書が採択されています。

世界的に貴重な文化財や自然を守るため、1972年に世界遺産条約が世界の国々で結ばれています。また、1971年には、世界的に重要な湿地を守るためにラムサール条約が結ばれています。100年ほど前にイギリスではじまったナショナルトラスト運動が日本でも行われるようになっています。自然や文化財を守るために、募金によって土地、建物、遺産を買い取り、保存していく運動です。

佐藤進学塾ではこのような自然や文化財に興味を持つ子を応援しています。夢の世界を与える大型遊戯施設の話はしません。夢を見るのは、自身の心と頭と、寝てからだけでよいからです。奈良や京都の文化財、琵琶湖や釧路湿原について、実際にこの目で見てきた話を子たちに伝えます。その話を目をキラキラ輝かせながら聞く子はできる子です。「先生、正倉院展、家族で見て来たよ」。この様な子には、一緒にいろいろと話をします。

小学6年生

「古代」

今から一万年以上前、旧石器時代の日本は大陸と地続きで、人々はほら穴に住み、狩りや漁をして暮らしていました。打製石器が使われていて、遺跡には岩宿遺跡があります。

縄文時代は磨製石器や縄文土器が使われるようになり、8000年ほど続きました。人々は竪穴住居に住みむらをつくり暮らしていました。この時代、貧富の差はありませんでした。遺跡には三内丸山遺跡があります。遺物としては貝塚や土偶が見つかっています。

弥生時代は、約2300年前に米作りの技術が伝えられました。紀元三世紀ごろまで続いています。人々は定住し、指導者となる首長があらわれ、貧富の差が広がり始めました。縄文土器より薄くてかたい弥生土器が使われ、金属器も大陸から伝わりました。石包丁が米作りに使われ、収穫した米は高床倉庫にたくわえられました。

強い力を持つ豪族がむらを従えてくにをつくり、王と呼ばれるようになりました。三世紀はじめ、女王卑弥呼が邪馬台国をおさめていました。中国の歴史書である魏志倭人伝に卑弥呼について詳しく書かれています。

古墳時代は王や豪族が力の大きさを誇る為に様々な形の古墳をつくりました。四角形と円型を合わせた形のものは前方後円墳と呼ばれ、古墳の周りにははにわという副葬品が置かれました。中でも大仙古墳は日本最大の古墳で全長486メートル、幅305メートルもあります。

4世紀ごろ大和地方に強大な力を持つ国が現れ、この国の政府を大和朝廷といい、王は大王と呼ばれました。5~6世紀には九州から東北南部までおさめていました。古事記、日本書紀には大和朝廷が各地を統一していった話が書かれています。ヤマトタケルの話も載っています。5世紀ごろには渡来人が多くなり、様々な技術や文化を伝えました。中国から漢字や仏教も伝わっています。

聖徳太子は摂政として、蘇我氏と協力して天皇中心の国づくりを進めました。603年、能力や功績で役人を取り立てる冠位十二階のしくみを定めました。604年、役人の心構えを示す十七条の憲法を定めました。607年、隋に遣隋使として小野妹子を送りました。聖徳太子は仏教を信仰し、法隆寺を立てました。

聖徳太子の死後、蘇我氏が天皇をしのぐほどの力を持つようになりました。645年、中大兄皇子は中臣鎌足とともに蘇我氏をたおし、天皇中心の国づくりを始める大化の改新を行いました。人々の負担は大きく、租庸調を課せられました。

710年、奈良に平城京が唐の長安にならってつくられました。人々は重い税負担に苦しむようになっていました。聖武天皇は仏教の力で人々の不安をしずめ、741年、国分寺を建てることを命じました。752年、僧行基の協力を得て、東大寺の大仏が完成しました。聖武天皇は遣唐使を送り、進んだ政治や文化を学びました。鑑真は、日本にわたり、唐招提寺を開いて仏教を発展させました。

794年、京都に平安京がつくられ、平安時代が始まります。藤原氏が大きな力を持ち、摂関政治を行い政治の実権をにぎりました。11世紀、道長、頼通の頃、最も栄えました。貴族は寝殿造りに住み、屋敷の中の屏風やふすまには大和絵が描かれました。国風文化が生まれ、かな文字がつくられ、紫式部は源氏物語、清少納言は枕草子を書きました。

武士は武士団をつくり、朝廷や貴族の警護を行い、認められるようになりました。武士団の中でも源氏と平氏が特に勢力を伸ばしました。1156年に保元の乱、1159年に平治の乱が起こり、平清盛が政治の実権を握りました。宋と貿易を行い、厳島神社を信仰しました。

先生「中大兄皇子と中臣鎌足は、皆よく聞けよ、なかとみのかたまりと違うで、…」

生徒「中大兄皇子となまごみのかたまりやー」

先生「お前、おもろいこと言うなー」

生徒「なまごみのかたまり、なまごみのかたまり、…」

小六の時、佐藤進学塾の授業中、調子に乗ってばかりいたMくんも、今では国立大学の医学部で医師になるために一生懸命勉強しています。勉強は楽しむことが大切です。少しぐらい調子に乗ってもいいのです。

「中世」

源頼朝は挙兵し、源義経は平氏を壇ノ浦で滅ぼしました。頼朝は、守護と地頭を各地におきました。1192年、頼朝は征夷大将軍に任じられ鎌倉幕府を開きました。将軍と御家人の間には、御恩と奉公による強い結びつきがありました。

頼朝の死後、将軍は三代で絶えて、そのあとは妻政子の実家、北条氏が執権について政治を行いました。朝廷は幕府を倒そうとしましたが、北条政子のうったえもあって、幕府側の武士は朝廷の軍をやぶりました。幕府は武士の基準となる御成敗式目をつくり、幕府の基礎を固めていきました。

元軍が二度にわたり、九州の北部に攻めてきました。これを元寇といい、北条時宗は武士を集めて元軍と戦いました。元軍は集団戦法や火薬兵器で日本の武士を苦しめましたが、暴風雨により引き上げました。元寇の後、幕府は御家人に領地を与えることができませんでした。御家人は十分なほうびがもらえなかったために、幕府に対して不満を持つようになり、御恩と奉公の関係はくずれていきました。

西日本では、米の収穫後、麦をつくる二毛作が行われるようになりました。鉄製の農具が広まり、草木灰を肥料として使い、収穫量は増えていきました。また、各地で定期市が開かれるようになりました。武士の力強い文化が栄えて、運慶、快慶により、東大寺南大門の金剛力士像がつくられました。平家物語が琵琶法師により伝えられ、吉田兼好は随筆徒然草を書きました。

1338年、足利尊氏が征夷大将軍に任じられ京都に室町幕府を開きました。三代将軍の足利義満の頃には大名の力をおさえて明と勘合貿易を行いました。1467年、8代将軍の足利義政のとき、有力な大名が11年にわたり戦った応仁の乱が京都で起こり、京都の町は焼き尽くされ、戦乱は全国に広がりました。

義満は北山に金閣、義政は東山に銀閣を建てました。慈照寺にある東求堂には書院造が取り入れられました。雪舟は墨絵を大成させました。観阿弥、世阿弥は能を大成させ、狂言も生まれました。御伽草子もつくられました。山城国では武士と農民が力を合わせて、一揆を起こし、自治を行いました。

さて、雪舟は幼少期は岡山で育ったそうです。いたずら坊主で、よく預かられていた宝福寺の和尚さんに怒られて大きな柱にひもでくくりつけられていたそうです。その時、足もとに涙がたまり、それを足の親指で大きなネズミの絵を描いたという話は有名です。もう反省したであろうと思い、やって来た和尚さんは、雪舟が大きなネズミに足をかまれそうになっている様を見てあわてて、雪舟に近寄り縄をほどいたそうです。

この話は、少し大げさに表現されていて、尾ひれがついているものと考えられます。しかし、雪舟の絵の才能を見抜いた和尚さんは、その後、自由に絵を描かせたそうです。後に京都の東福寺へ出家、その後、相国寺に入門し、そこで絵の先生である周文について絵を学んだそうです。教科書では山水画が出てきますが、人物画や美しい花鳥画も多く描いています。

佐藤進学塾では、塾長が承天閣美術館の熱烈なファンであり、歴史的な話と美術的な話を織り交ぜて、よくします。相国寺の承天閣美術館には本当に素晴らしい絵がたくさんあります。相国寺は御所の北側にあります。同志社の校舎の間の道を100メートルくらい抜けた所に正門があり、そこからさらに100メートルくらい進むと承天閣美術館があります。驚くほど広く立派な美術館です。伊藤若冲の特別展がある時以外は、いつ行っても静かに絵を鑑賞することができます。

「近世」

1543年、ポルトガル人によって鉄砲が伝えられ、大阪の堺などで大量生産されるようになりました。1549年、スペインのフランシスコ=ザビエルによってキリスト教が伝えられました。1560年、織田信長は今川義元を桶狭間の戦いでやぶり、勢力を伸ばしました。足利将軍を京都から追放して室町幕府を滅ぼし、長篠の戦いでは、武田勝頼を鉄砲を使った新戦法でやぶりました。信長は安土城を築き、楽市楽座の制をしいて、自由な営業を認めました。天下統一を進めるとちゅう、本能寺で明智光秀に攻められ、たおされました。

豊臣秀吉は大阪城を築いて、関白・太政大臣となり、天下統一を実現しました。全国の田畑を調べて土地のよしあしを記録する太閤検地、農民から武器を取り上げる刀狩を行いました。秀吉は二度にわたり朝鮮に出兵しましたが、激しい抵抗にあい、引き上げました。

1600年、徳川家康は関ヶ原の戦いで石田三成の軍をやぶり、1603年に江戸幕府を開きました。全国の大名を親藩、譜代、外様に分けて藩をおさめさせました。また、武家諸法度を定めて大名を統制しました。三代将軍徳川家光は、武家諸法度に参勤交代をくわえました。人々は身分が分けられて、農民は五人組のもと、重い年貢を納めました。

江戸幕府は朱印状を与えて貿易を保護しました。幕府はキリスト教を禁止しました。農民は、重い年貢やキリスト教の禁止に反対して、島原・天草一揆を起こしました。幕府は鎖国を行い、相手国を清とオランダに限り認め、利益と情報を独占しました。鎖国下、将軍が変わるごとに朝鮮通信使が江戸を訪れました。

江戸は「将軍のおひざもと」、大阪は「天下の台所」と呼ばれ、商業が発展しました。江戸時代、飢饉が起こり、百姓一揆、打ちこわしが起きました。大塩平八郎は人々を救うために大阪で乱を起こしました。

町人を中心とする文化が起こり、近松門左衛門は歌舞伎や人形浄瑠璃の脚本を書きました。歌川広重は東海道五十三次、葛飾北斎は富嶽三十六景など浮世絵を描きました。国学が広がり、本居宣長は古事記を研究して古事記伝を完成させました。蘭学がおこり、杉田玄白、前野良沢はオランダ語の医学書を翻訳して解体新書・ターヘルアナトミアを出版しました。伊能忠敬は精密な日本地図をつくりました。子どもたちは、寺子屋で読み書きやそろばんを習いました。武士の子は、藩校で学びました。

1853年、アメリカのペリーが浦賀に来航し、開国を求めました。1854年、日米和親条約を結び、下田、函館を開港しました。1858年、日米修好条約を結び五港を開き、貿易が始まりました。関税自主権がない、領事裁判権を認めたという不平等条約でした。

薩摩藩の大久保利通、西郷隆盛らは外国を追い払おうとしましたが、失敗しました。薩摩藩と長州藩は坂本竜馬の仲立ちのもと、薩長同盟を結び幕府を倒す協力を行いました。1867年、徳川慶喜は政権を朝廷に返しました。

佐藤進学塾では、「織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のうち、あなたは誰が好きですか」と質問してその理由を語らせて、討論させます。結構、子どもたちは熱く語り始めます。その年によって、子供の語ることは様々です。毎年、子どもたちの意外な一面を見ることもできるので、とても楽しみです。

「先生は誰が好きなん」と聞かれることがあります。「先生は気の短い織田信長が好きです」というと「えー、先生、むごい」という声が上がります。

先生は、これでも随分気が長くなりました。そして、冷たいというか、おそろしいほど冷静な一面があるのです。

「近・現代」

1868年、五箇条の御誓文という新しい政治の基本方針が神に誓う形で示されました。1871年、廃藩置県により、藩を廃止して府県を置きました。また、富国強兵の政策がとられました。1873年には、徴兵令が出されました。同年、地租改正も始まり地価の3%を現金で納めるようになりました。

このころ、文明開化がおこり、西洋文化が取り入れられ人々の暮らしが変化しました。福沢諭吉は『学問のすゝめ』を著し、国民に大きな影響を与えました。

1877年、西郷隆盛を中心としておきた西南戦争は政府におさえられました。1874年、板垣退助が国会開設の要望書を政府に提出し、国会開設を求める自由民権運動が始まりました。国会開設に備えて、板垣退助は自由党を、大隈重信は立憲改進党を結成しました。

伊藤博文は君主権の強いドイツの憲法を学び、内閣制度をつくり、初代内閣総理大臣となりました。1889年、大日本帝国憲法が発布されました。1890年、貴族院と衆議院で構成される国会が開かれました。選挙権は、直接国税15円以上納める25歳以上の男子に与えられました。

1886年、ノルマントン号事件がおこり、領事裁判権を認めていたためにイギリス人船長は軽い罰を受けただけでした。1894年、陸奥宗光は条約の一部改正を行い領事裁判権の撤廃に成功しました。1911年、小村寿太郎が条約改正に成功し、関税自主権が回復されました。

1894年、日清戦争が起こりました。日本は勝利し、賠償金と台湾、リヤオトン半島などの領土を得ました。1904年、日露戦争が起こりました。東郷平八郎らの活躍もあり、日本は勝利しました。 1910年、日本は韓国を併合しました。賠償金の一部で官営の八幡製鉄所がつくられ産業が発展していきました。

1914年、第一次世界大戦がおこり、日英同盟を理由に戦争にくわわりました。1920年、世界平和を守ることを目的に国際連盟がつくられました。

1918年、米騒動が起こりましたが、政府はこれをしずめました。平塚らいてう、市川房枝らは女性の地位向上を目指す運動を進めました。1922年、差別に苦しむ人々は、全国水平社をつくり、差別をなくす運動をすすめました。吉野作造は民本主義を唱え、普通選挙を求める運動が高まりました。1925年、25歳以上のすべての男子に衆議院の選挙権が与えられ、同時に治安維持法が制定されました。

1931年、満州事変がおこり、1937年、日中戦争が起こりました。1939年には、第二次世界大戦がはじまり、日独伊三国軍事同盟を結び、米英と対立するようになりました。1941年には、太平洋戦争がはじまりました。

戦時中、小学生は学童疎開を行いました。1945年、広島、長崎に原爆が投下され、8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏し、戦争は終わりました。

戦後、日本は連合国軍に占領され民主化がすすめられました。1946年11月3日、日本国憲法が公布され、翌年の5月3日より施行されました。

1951年、48か国とサンフランシスコ平和条約を結び、独立を回復しました。また、朝鮮戦争がおこり、日本は好景気になりました。高度経済成長という発展を続けて工業国となりました。1964年には、東京オリンピックが開催されて、新幹線や高速道路が整備されました。1972年、沖縄がアメリカから復帰し、1978年には、日中平和友好条約が結ばれました。現在、日本の課題として、アメリカ軍の基地問題、北方領土問題、北朝鮮の拉致問題などを抱えています。

本当に流れだけですが、ポイントのポイントに絞り込んで、歴史の流れをたどってみました。なんだこれだけかと思われる方もおられるかと思いますが、意外と骨格となる流れを正確に掴んでいる小学生はなかなかいないものです。これだけのことをしっかりと理解したうえで深く掘り下げていくと良いと思います。基本は大切です。

歴史は『歴史まんが』を佐藤進学塾の子たちにすすめています。漫画に対しては、否定的な立場をとっているのですが、歴史漫画だけは別です。私が小学生の時に、広島の進学塾で社会の先生から『歴史まんが』と『年代暗記のごろ合わせ』の本をすすめられて、読んでいくと、とても楽しく勉強できたことを思い出します。時代は変わっても、歴史まんがから入り、そこから興味ある歴史に関する書籍へと変わっていけばよいと思っています。

 

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